リカルド・マルチネス
現WBA世界フェザー級チャンピオン。
国籍はメキシコ。
約10年間に渡って同タイトルを防衛し続けている現役選手にして既に伝説のボクサーで、ノンタイトル戦でもないと試合の相手が見つからず、その王座に挑戦することそれ自体が勇敢とさえ言われている。
戦績は68戦68勝64KO、防衛記録は21回。WBC王座との統一戦や階級を上げる事には興味が無いという。
超人的なテクニックとパンチ力を誇り、公開スパーリングでは一歩を左ジャブのみで事実上KOした。
普段は精密機械のような理詰めのボクシングを見せるが、本来のスタイルはファイタータイプで、まるで別人のように攻撃的に急所を攻め続ける。
2回目の防衛戦で伊達英二と対戦し、圧倒的な実力差を見せつけて2RでKO、伊達を一時引退に追い込んだ。
その7年後、18回目の防衛戦で伊達と再戦、前回より格段に成長した伊達を相手に本来の姿を剥き出しにし、砕けた右拳でのハートブレイクショットを打ち込まれるも、最終的には伊達の健闘を讃えながらほぼ無傷でKOした。
モデルはプロアマ通じ生涯無敗で引退した元ミニマム級統一世界王者リカルド・ロペス。
得意技
* ジャブ(メキシカン特有の肩を入れ拳一個分伸びるジャブ。
* コークスクリューブロー
ジミー・シスファー
タイ国フェザー級国内王者。
ムエタイで32戦全勝全KOの戦績を残した後ボクシングに転向、10戦10勝全KOのパーフェクトレコードを記録し、カオサイ・ギャラクシーの再来とまで謳われた。
海外遠征でタイに拠点を構えていた宮田と11戦目に対戦、戦績に箔をつけるための噛ませ犬との試合として臨んだが、宮田が放った起死回生のジョルト・カウンター1発でKOされ、生涯初の敗北を喫する。
その痛烈な敗戦ショックがトラウマになり、以後テクニック主体のボクシングを捨て、『神の一撃』を目指して突進から大振りのフックを振り回す一発狙いのスタイルに転向。
宮田戦後4年間で34 回という常識外れた試合数をこなし、やがて体全体の捻りを拳に乗せるトルネード・ジョルトを身に付け、国内チャンピオンにまで上り詰める。
しかしその代償として、バッティングやパンチで切った無数の傷痕が顔面に出来、また話し言葉の呂律が回らず顔つきも明らかに狂気を帯びているなど、パンチドランカーの兆候も見られるようになった。
加えて、近年の試合では倒した選手を再起不能にまで追い込むことから、その風貌とファイトスタイルになぞらえて『スクラッチ(傷物)J』のあだ名で呼ばれている。
目標を東洋太平洋王座から東洋圏内各国のチャンピオンに変更した一歩の初戦の相手として招待され、来日。序盤は並外れた突進力・破壊力で圧倒するが、同じく一発狙いに切り替えた一歩に互角の展開に持ち込まれ、最後はデンプシー・ロールの軌道を強引に変えて繰り出された左アッパー1発で失神し、敗戦した。
試合終了後、憑き物が落ちたような表情で「目指していたのは神ではなく悪魔だった」と語り、満足したように現役を引退した。生涯戦績46戦38勝 38KO8敗。生年月日は1971年10月13日。
得意技
* ジョルトブロー
* トルネード・ジョルト
アーニー・グレゴリー
元東洋太平洋フェザー級チャンピオン。
国籍はオーストラリア。
一歩並みのパワーを持つファイターで、強烈な左右のフックをワニの顎に喩えた『クロコダイル』の通り名を持つ。
宮田の東洋太平洋タイトル挑戦を受け来日、クロスカウンター返し『ブラッディ・クロス』で二度ダウンを奪ったが、三度目のブラッディ・クロスをジョルトカウンターで破られマットに沈む。
宮田に負けてベルトを失った後、控室で自らのテンガロンハットを宮田に贈って帰国した。
Mr.サカグチのプロモートを受けていたが、選手をあくまで金儲けの道具としか見なさないサカグチに嫌気がさし、試合中にクビを言い渡している。
得意技
* ブラッディ・クロス
メッガン・ダッチボーイ
元東洋太平洋フェザー級3位。
国籍はタイ。
ムエタイで鍛えた強靭な肉体と、高速連打できるショートフックを誇る。
宮田の東洋太平洋タイトル4度目の防衛戦の相手として来日し、鷹村VSデビッド・イーグル戦のセミファイナルで対戦。病気の娘の治療費のため、Mr.サカグチと一切攻撃を出さない契約を結んで試合に臨んだが、攻撃してこないと知ってなお打ち合いを望む宮田に闘志が目覚め、開発中の新型カウンターの前に返り討ちに遭った。
ポンチャイ・チュワタナ
フェザー級プロボクサー。
国籍はタイ。
ジミー・シスファーに勝利したほどの実力者で、ムエタイ経験者が多いタイでは珍しい純粋なボクシング出身者。一歩と対戦するまでダウン経験が一度もないというタフネスに加えて、首ひねりなど高度なテクニックも持ち合わせている。
一歩の再帰戦の対戦相手として招待され、高い実力から苦戦が予感された矢先、一歩がこの試合に臨んで編み出したデンプシー・ロールの前に2RでKOされた。生年月日は1970年8月15日。
崔 正範(チェ・ジョンボン)
東洋太平洋フェザー級6位。
国籍は韓国。宮田の東洋太平洋タイトル防衛戦の相手として来日し対戦、序盤はテクニックに圧倒されていたが、宮田が客席のMr.サカグチとランディー・ボーイ・ジュニアに気を取られた隙に反則技交じりのラフファイトなどで形勢を逆転、TKO寸前にまで追い込む。
しかし最後は足を止めての乱打戦を制され、マットに沈む。宮田戦後の戦績は16戦13勝10KO3敗。
宮田戦まではダウン経験無しだった。
なお宮田はこの乱打戦で両拳を骨折し、約束の試合である一歩戦の延期を余儀なくされてしまう。
ドニー・スルタン
フィリピンフェザー級2位。
両拳骨折から復帰した宮田のノンタイトル戦の対戦相手。
貧しさから抜け出すため宮田の世界ランキングを奪取することに執着し、会心のクロスカウンターを受けても倒れず立ち向かってきたが、最後は宮田が一歩戦の為に温めていた死角から新型カウンターを受けKOで敗北した。宮田戦までの戦績は13戦8勝4KO5敗。
ランディー・ボーイ・ジュニア
元東洋太平洋フェザー級暫定チャンピオン。
国籍はフィリピン。拳の骨折で宮田の防衛戦が延期になったために行われた暫定王座決定戦に勝利し、暫定王者となった。Mr.サカグチのプロモートを受けている。
世界的にも非常に珍しい両利きのボクサーで、対戦相手が気付かないほど頻繁にスイッチを繰り返し最短距離で追い詰めていくことから『阿修羅』の異名で呼ばれている。強打を誇るファイタータイプで、両利きであるが故にアウトボクサーやカウンターパンチャーにとっては非常に相性が悪い。
かつて宮田父を引退に追い込んだ元東洋太平洋王者ラクーン・ボーイの息子。ラクーンは宮田戦でパンチドランカーとなり、その状態で世界戦に臨んで敗戦、7日後に息を引き取った。
何も語らずこの世を去った父の軌跡を辿るため、ランディ自身もボクシングの道に足を踏み入れ、誰に教わるともなく父と同じ両利きのスタイルを体得した。
東洋太平洋王座統一戦で宮田一郎と対戦、序盤は宮田のテクニックに押されながらも、スイッチでのカウンター封じと持ち前のパンチ力でKO寸前まで追い詰める。しかし宮田のアッパー攻勢に反撃が単調になったところをカウンターで狙い打たれ、最後はコークスクリュー・ブローでのクロスカウンターを受け逆転でKOされた。
宮田はランディに対し父親の代からの決着をつけることに執着していたが、ランディはあくまで父と同じ世界の舞台に立つことを目標としており、宮田戦と東洋太平洋王座は通過点としか見ていなかった。
得意技
* スイッチ
マルコム・ゲドー
フィリピンフェザー級国内チャンピオン。
巧みなディフェンスと、様々な小技で試合をコントロールする手腕から『魔術師(マジシャン)』と呼ばれている。
福井戦までの戦績は32戦22勝15KO6敗4分と飛び抜けたものではないが、それは金銭取引による八百長試合を請け負っているためで、試合展開に応じた料金コースまで設定している。
勝負よりも金銭に執着する強欲な性格。少年時代はスリで生計を立てており、その頃に負った銃創の痕が左胸と右脇腹に残っている。
福井戦を八百長試合にしたことでボクシングを侮辱していると鴨川会長と一歩の激しい怒りを買い、ファイトマネー総取り試合となった一歩戦に臨んで来日。
距離感を狂わせる様々なテクニックと懐に呼び込んでの強烈なアッパーで主導権を握るが、一歩が咄嗟に放ったハートブレイクショットに恐怖を覚えて流れを変えられ、最後は真正面からのぶつかりあいを制されKOで沈んだ。
試合後、金銭に執着し八百長試合を繰り返す理由を、ランディー・ボーイ・ジュニアに敗れて世界を目指す夢を諦めたためと明かしていた。後楽園ホールからの帰途、かつての自分を取り戻した試合に満足し再び世界を目指すことも考えたが、自分を倒した一歩の実力を思い出して諦め直し、元通り懲りない言動を繰り返している。
得意技
* ハンドシェイク
李 鐘弼(リ・チョンピル)
フェザー級プロボクサー。
東南アジア遠征から帰国した宮田の国内復帰戦で対戦。海外遠征で成長した宮田に手も足も出ず、強烈な左ボディーブローに3RでKOされる。
ジェフ・ブルックス
WBA世界フェザー級5位。
伊達の世界再挑戦の前哨戦の相手として来日、伊達を苦しめるも9Rにハートブレイクショットを受けKOで敗北。
アレックス・ハカ
フェザー級。
国籍不明。
鷹村対リッキー・マウス戦の前座で、日本ランキング入り直後の板垣と対戦。ハリネズミの前に1RKO負け。
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